2022年2月1日火曜日、(特活)金光教平和活動センターの専務理事である杉本健志氏と、ミンダナオ子ども図書館館長の松居友氏を講師にお招きし、「フィリピンに関わるNGOとともに学ぶテーマ学習会~『子ども』をテーマにNGOのお話を聞きませんか~」と題した学習会を開催しました。NGO関係者らを中心に計15名がオンラインで集まり、テーマについて学び合いました。
金光教平和活動センターはマニラ首都圏のスラム、ミンダナオ子ども図書館はミンダナオ山奥の戦闘地帯とどちらも非常に厳しい状況に置かれた子どもたちを支援しています。こうした両団体の活動をご報告いただく中で、フィリピンの子どもたちが置かれている状況について理解が深まったほか、フィリピンにおける格差やNGOとしての活動についても意見交換をすることができ、実りのある時間となりました。
~(特活)金光教平和活動センター専務理事 杉本健志氏~
【フィリピンにおけるスラム支援に至った経緯】
金光教では、広島で原爆投下直後から、以下の金光教教祖の3つの教えを掲げ、原爆死没者の慰霊と平和を祈願する集会を行ってきました。
- 天地の間に住む人間は神の氏子。
- 天が下に他人ということはなきものぞ。
- 人の身が大事か。わが身が大事か。人もわが身もみな人。
金光教平和活動センター(以下、KPAC)は、貧困や人権侵害といった途上国における平和阻害の要因に目を向けるようになり、特に太平洋戦争中に大きな損害を与えてしまった東南アジアの貧困解決のために活動したいという想いによって、広島平和集会を母体に1988年に設立されました。
全国にある金光教の教会に「一食を捧げるチャリティー献金」として寄付を募り、集まった支援金をフィリピン・マニラやタイ・バンコクのスラムに届けたことが活動の始まりです。その後、支援金を送るだけではなく実際にフィリピンのトンド地区にあるスモーキーマウンテンなど現場に足を運び住民と対話を重ねるうちに、子どもの教育支援が何より重要であることがわかり、子どもの支援を開始しました。
【トンド地区における支援について】
フィリピン・マニラ市の最貧困地区であるトンド地区にて支援を行うため、SRDコンコウキョウセンターを1990年に開設しましした。当時からこの地域には、田舎から出稼ぎ目的で来たものの、仕事を得ることができないなど苦しい生活を送っている人が多く集まり、ゴミ拾いをしてお金を稼いでいました。
SRDコンコウキョウセンターでは、活動開始当初、特に貧困の状態にいる子ども120人に制服と教科書の配布を行ったほか、勉強を教える幼稚園をつくり、運営しています。フィリピンでは小学校入学時に簡単な読み書きなどのテストがあり、その時点の学力で小学校のクラスが編成されます。成績の悪いクラスに入ってしまうと、どれほど熱心に勉強していても、周りで退学してしまう子が多く、勉強するモチベーションを失って退学してしまう児童が多くいます。そのため、小学校入学時から成績の良いクラスに入ることが子どもの学習継続において重要だと考え、親たちへの教育の大切さを説き、幼稚園児の教育支援を行うことにしました。幼稚園の子どもは小学校入学後も本人が希望した場合、週に1回センターで学習指導を受けることができます。SRDコンコウキョウセンターの教育支援により、過去30年間の活動でのべ27人が奨学金をもらってフィリピンの私立名門大学・デ・ラ・サール大学に進学しました。
また、センターでは子どもへの支援だけでなく、子どもを持つ母親への支援も行っています。ミシントレーニングなどの職業訓練を受け、生活が向上することを実感してもらうことが目的です。母親たちは、子どもが幼稚園で着る制服を作っています。
【ストリートチルドレンの支援について】
KPACはストリートチルドレンの支援も行っています。フィリピンには、両親の不仲、離婚や再婚などによって家族関係が悪化し虐待やネグレクトを受け、そこから逃れるために路上で生活をするストリートチルドレンが多くいます。こうした子どもたちは、マフィアなどの大人から自らを守るために結党してギャング化するケースもあり、そうなる前に保護し、更生させることが重要です。
KPACのカウンターパートであるカンルンガン・サ・エルマのスタッフは路上で暮らす子どもを見つけると、対話を繰り返しながら信頼関係を構築し、いつでも食事ができ、安心して眠れる「オープンデイセンター」へと誘います。センターでは、その子どもが家族のもとに戻るべきかどうかの判断を裁判所と念入りに話し合い、家族のもとに戻ることができない場合はセンターで暮らしてもらいます。センターに一度入ると、高校卒業まで暮らし続ける子どもが多いのが現状です。たとえ優秀な成績で学校を卒業したとしても、フィリピン社会では「ストリートチルドレン=ギャング」という認識が根強く、就職に苦労するストリート出身の子が大勢います。そうした現状に対応するため、都心からは離れた寮にある農場で果物やコーヒー豆の栽培・生産など、職業訓練活動を行うほか、マニラ市内のオフィス街でコーヒーショップ(「KSEM Cafe」)を開き、農場で栽培したコーヒー豆を使った喫茶店の従業員として働く場所も確保しています。
【コロナ禍におけるフィリピンの現状について】
2020年3月以降の急なロックダウン(コミュニティ隔離措置)により、特にトンド地区のような貧困地域では生活に困窮してしまう人が急増しました。
フィリピンの学校はコロナ禍以降ほとんど対面による授業を行えていなく、対面による授業の代わりに、オンライン授業やプリント課題による学習が行われています。メトロマニラの子ども達にはひとり一台タブレットが配布されたものの、トンド地区のような電波が悪い場所では効果的な学習ができません。その場合は、子どもの保護者が週に1回学校に行き、子どもの宿題を提出したり、次の教材をもらったりします。家庭学習が行われる中、家族や親戚に勉強を指導できる人がいない場合、子どもの学習が滞ってしまいます。SRDコンコウキョウセンターでは、家庭学習が進まない子どもたちに対して、勉強を教えられる人の紹介も行っています。
杉本氏は発表の最後に、コロナ禍におけるもっとも深刻な問題の一つとして、児童ポルノが急増したことを取り上げました。2021年1年間の児童ポルノの摘発件数(フィリピン司法省による発表:130万件)は前年比の3倍となったということです。コロナ禍で生活に困窮した大人たちが、自らの子どもや親戚の子どもの裸写真をインターネットに流出させるなどして、性的搾取をしているケースが多いとのことです。こうした場合、性的搾取を受けた子どもの心のケアを行うのはもちろんのこと、傷ついた子どもにとって大事な存在である親や親戚を完全な悪者としないよう配慮しつつ、犯罪の悪さを悟らせる必要があり、難しいということです。杉本氏は、一刻も早く新型コロナウイルスの流行が終息してほしいと話しました。
【質疑応答】
参加者の方から、KPACの活動資金に関する質問がありました。杉本氏は、SRDコンコウキョウセンターの設立など多額の資金を必要とした際には、外務省や郵政省などから支援を受けたが、基本的には金光教の信者による寄付金を活動費に充てている、と回答しました。具体的には、「一食を捧げるチャリティー献金」や正会員・協力会員の会費で運営しています。ただし、団体発足直後と比較すると活動資金は減少傾向にあるため、現地の人びとがKPACの支援から徐々に自立できるようにと現地の人びととも共有しているそうです。実際にKPACの支援から自立した事例もあるようで、KPACが支援をしていたセブ島では公立の幼稚園が増えたことで、KPACによる支援をスケールダウンできたとのことです。
また、別の参加者からは、コロナ禍における現地とのコミュニケーションのとり方について質問がありました。杉本氏は、新型コロナウイルス流行以降、KPACのスタッフはフィリピン現地へ行けていないため、メールやZoom、LINEなどを用途で使い分けてコミュニケーションをとっていると話しました。
金光教平和活動センター
- 設立年: 1988年
- 理念: 天地の道理に基づき、自然と人間が調和し、世界の人々が地球市民として自立し、共生する社会を実現するため、教育、福祉、人権擁護に関する事業及び開発途上国の人々に対する支援等を行い、世界の平和の推進に寄与することを目的とする
- 会員制度: 正会員178人 協力会員418人
- 財政規模: 12,627,784円
~ミンダナオ子ども図書館館長 松居友氏~
【ミンダナオ子ども図書館のはじまり】
松居氏は、「ミンダナオでこんなことをするなんて思っていなかった」と言って発表を始められました。ボランティア活動もNGOで働いた経験もない中、松居氏が活動を始めたきっかけは、イスラム戦闘地にいた、劣悪な環境で暮らしている避難民の人びとでした。特に子どもたちが表情を失っている姿に心を打たれ、活動を始めました。
はじめは、5人くらいの高校生と読み聞かせを行っていました。活動を行うなかで病気の子どもたちに出会い、そうした子どもたちを助けたいと思ったところ、法人格がないと支援活動を行えないと言われたため、一緒に支援をしていた高校生の生徒たちが尽力し、法人格を取得できたそうです。
【支援地域の現状】
ミンダナオ子ども図書館が支援を行っている地域ではこれまでに戦闘が繰り返し起きており、子どもたちの中には戦闘で親を殺されてしまった子どももいます。この地域にはフィリピン先住民族も住んでおり、先住民族の人々はとても貧しい暮らしを送っています。家庭崩壊した子も多く、ミンダナオ子ども図書館は、そういった苦しい状況に置かれた子どもたちを保護し、学校に通わせています。現在は300人ほどを保護しており、その数は多い時には800人ほどいました。イスラム教徒・先住民族・キリスト教徒が可能な限り等しくなるようにしていて、年4回全員でミーティングや文化祭を行い、学生代表たちが会議を主催しています。さらに、現地で暮らすことができないと判断した子どもたちには住める場所を提供してそこで保護をしています。
この地域の子どもたちの約70%は、小学校2年生の段階で学校に通うことができなくなってしまうそうです。極度の貧困で通学に必要な学用品が買えないことや、お弁当を持って行けないこと、親が読み書きできず、住民登録すらできていない状況です。そうした子どもたちをミンダナオ子ども図書館は支援しており、学校卒業後教師になる子どもが多く、地域の福祉局と連携して活動しているので大学を卒業して行政の仕事に就いた卒業生も多くいます。
【図書館での暮らしについて】
ミンダナオ子ども図書館では、80人が女子寮、20人が男子寮に住んでいて、食事の用意などできることを子どもたち自ら行います。シニアハイスクールと大学生は別の建物に住んでおり、アルバイトも可能で携帯電話も使えるようにしているそうです。さらにここにはスタッフ20名とソーシャルワーカー4名も滞在していて、ほとんどが図書館の卒業生だそうです。戦闘により表情を失ってしまった子どもたちは図書館に来るととても明るくなり、すごく幸せだと言ってくれると松居氏は話しました。
ミンダナオ子ども図書館の支援地域には学校に通いたいと思う子どもがとても多く、一般募集をすると200人ほど応募があるほどです。その理由は、「家族を助けたい」「妹弟をも学校に行かせたい」など家族を助けたいという想いが大半です。子どもたちは図書館が支援をして学校に通うようになると、熱心に勉強に励みます。
図書館ではさまざまな宗教の子どもが生活していますが、宗教対立を全く感じさせないほど子どもたちは仲良く暮らしています。「宗教がちがってもみんな家族だよ」と言う子どもたち。ある時はキリスト教徒の子どもが、施設内にイスラム教徒のためのモスクがないことをかわいそうに思い、松居氏にモスク設置をお願いしたそうです。その後、日本からの支援のおかげで図書館の近くにモスクを建てることができました。
ミンダナオ子ども図書館は日本をはじめ海外からの訪問者の受け入れを行ってきました(現在は新型コロナウイルスのため、受け入れを中止しています)。日本の若者、中高年の方々、さらにはほかのアジア諸国やアフリカ、ヨーロッパなどからも訪問があり、ミンダナオ子ども図書館に滞在した人たちは子どもたちによる温かい歓迎に感動するそうです。松居氏は改めて、白か黒かと分断するのではなく、壁を作らずにお互いを受け入れる重要性を訴えていました。
ミンダナオ子ども図書館
- 設立年: 2000年
- 理念: 愛を必要としている不幸な子どもたちに仕え、互いに愛し合うこと。悲しみの中にある 子どもたちに喜びを、傷ついた心に癒やしを与え、互いの文化を分かちあい、一つの家族として生きること、そして夢をかなえて平和な世界を作ること
- 会員制度: なし(スカラシップや自由寄付)
【質疑応答】
松居氏の発表に対して、「戦闘が起こっている状態で、ミンダナオ子ども図書館が中立的立場であることは一般に知られているのか」という質問がありました。松居氏は、図書館が中立であることはきちんと把握されており、それが安全に繋がっていると回答しました。また、図書館は政府側、反政府側とも連絡が取ることができ、きちんと連絡をとっていることや、20年間に及ぶ継続的な支援のなかで得られた信頼関係こそ、安全を維持することに繋がっているそうです。
また、参加者からは「旅人には親切に」という北ルソン地方における伝統的な考え方に
より、「ゲリラをかくまっているのではないか」と疑われることがあるようで、現地の伝
統的価値観と現代は合わなくなっているのではないか、という意見が出ました。これに対
し松居氏は、ミンダナオ子ども図書館ではゲリラなどとは関係なく、ゲリラ側も民兵側も親が殺された子を奨学生として公平に採用しており、ひたすら子どものために活動していると理解をもらっている、とおっしゃっていました。現地では白か黒かで分けるようなことはしないそうで、松居氏は改めて、人と人の繋がりの重要性を強調しました。
~自由な意見交換~
後半の時間では、フィリピンにおける格差について「なぜこのような現状があるのか、どのようにすれば効果的に改善ができるのか」といった問いかけが、JPN運営委員会代表・伊藤からあり、参加者間で意見交換を行いました。
杉本氏は、KPACの支援によって学校を出て社会にでることができても、そのあと活動に携わったり支援をしたりする卒業生は稀であり、現在のフィリピン社会では自分の生活を送るだけで精一杯なのではないか、という意見がでました。また松居氏からは格差に関して、植民地時代から海外と繋がっているところにはお金が流れるが、その富が社会の末端までは届かない構造になってしまっている、との指摘がありました。
このように根深い格差に対して、フィリピンの政治体制や経済体制にまで切り込んで活動を行う必要性があるのではないか、という意見が出ました。また、そうした現体制に訴えかけていくためにも、JPNのようにNGOが協力し合って活動を行う場の重要性を共有することができました。
さらに、NGOとしてファンドレイジングを行っていく中で重要な支援者への対応についても議論があり、参加者の持つ知識を共有することができました。
根深い格差が存在するフィリピンにおいて、非常に厳しい環境に置かれた子どもたちを支援する2団体に発表していただき、そこからどのようにして格差を解消していくかといったところまで議論することができました。参加者一人ひとりにとって、今後の活動にも生かせるような気付きを得られる時間となっていましたら幸いです。