活動報告:学習会「フィリピンに関わるNGOを招いたテーマ学習会~『家族』『法的支援』をテーマに活動するNGOのお話を聞きませんか~」を開催しました 2021.12.23

JPNニュース
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2021年12月23日木曜日、オンラインでフィリピンに関わるNGO間の交流とテーマ学習会「フィリピンに関わるNGOを招いたテーマ学習会~『家族』『法的支援』をテーマに活動するNGOのお話を聞きませんか~」を開催しました。

当日は、3つの団体から講師をお招きし、フィリピン人移住者センターの石原バージ氏と、(特活)JFC ネットワークの伊藤里枝子事務局長、(特活)フィリピン日系人リーガルサポートセンターの石井恭子事務局長にお話していただきました。JPN 非会員団体(財団、社会福祉法人等)職員 7 名、一般個人(教育、法律関係等) 5 名、 JPN 正会員団体職員 3 名、発表者3 名 計18名が参加しました。2021年最後の交流と学習会として、学び合い、語り合いの「場」となりました。

開会の挨拶として、JPN運営委員の森脇祐一氏が、クリスマスシーズンのこの時期でもありますし、フィリピンの方は家族をとても家族を大切にするので、今回は家族をテーマとした経緯を説明し、その後、3つの団体より、フィリピンの家族や法的支援の問題を取り上げて発表していただきました。

~(特活)JFCネットワーク・伊藤里枝子事務局長~

「日本人の父を探して- 国境を越えた法的支援活動」という題名のスライドを見ながらお話していただきました。

JFCネットワークは、1994年5月に設立され、フィリピンの現地事務所や日本国内の弁護士と連携を取りながら、法的支援を中心に子どもたちの人権擁護活動に取り組んでいる団体です。JFCはJapanese Filipino Childrenの略であり、日本人とフィリピン人の両親を持つ子どもたちの総称で、クライアントの75%はフィリピンに住んでいます。JFCの背景として、1980年代に日本に出稼ぎに来たフィリピン人女性と日本人男性が出会い、在留資格の期限終了のためフィリピンに帰国したのちに妊娠が発覚したというケースがあります。その後、日本人男性との連絡が途絶え、子どもの養育費を払ってほしい、父親を探してほしいという依頼が殺到し、これは社会問題だということで日本全国の弁護士有志でJFC弁護団が結成され、1998年に現地事務所としてマリガヤハウスが開所されました。1)法的支援活動、2)生活・教育支援活動、3)普及啓発活動が活動の内容です。

法的支援活動では、認知、養育費、国籍取得が主な相談内容。離婚訴訟に関して、父子が日本とフィリピンという別の国に離れて暮らしている場合は面会交流ができないため話し合いがされていませんでした。コロナ禍によりオンラインで調停や打合せが進んでいく中、父子面会交流をオンラインで行う試みがあり、昨年は数件、LINEやZoomで行うことを調停条項に盛り込み、フィリピンにいながら父親と交流できる方法を模索しています。フィリピン人は世界中に住んでいますが、メールやSNSを通じて相談を受付けられるようになり、シンガポール、ドバイや、オーストラリアのように多くの国から相談を受けられるようになりました。クライアントからの相談では、対面でのオリエンテーションでしたが、コロナ禍で全てオンラインでの実施となり、遠方の方でもオリエンテーションに参加できるようになったことがメリットです。遠方の方は会いに行けないためGoogleの質問票に記入してもらうのですが、内容がExcelデータでカテゴリーごとに振り分けられ、緊急ケースの把握がしやすくなったこともメリットの1つです。フィリピン在住のクライアントの場合、顔が見られない状態で受けていたところ、打合せがオンラインになり、クライアント、弁護士を交えて三者で顔を交えて話ができることも良い面の1つとなりました。

裁判を待っている間にワークショップをして母子共にモチベーションを保たせるための生活・教育支援活動もあります。子どもたちに対しては、「ダブル」としての誇りや長所を伸ばせるように日本語や日本の文化に慣れ親しむ活動や、自分に自信を持てるように図画工作やゲーム、ダンスを通して自己表現の機会を持たせています。母親たちには、法律・法的手続きセミナー、移住労働者やジェンダーのワークショップを行い、リーダーの育成や・精神的サポートを目指していますが、コロナ禍でワークショップは2年間できていません。普及啓発活動としては、スタディツアーの開催、ニュースレターの発送があります。

JFCの問題として、経済的・精神的・法的な3つがあげられます。経済的問題(貧困)では、母子がフィリピンにいる場合、社会的保証システムのサポートが薄く、母親は海外に出稼ぎで不在となり、JFCの子どもたちが父親だけでなく母親からも遺棄される場合があります。その結果、非行に走る、母親への不信感を持つということが見られています。日本にいる場合は、ほとんどが母子家庭で生活保護受給者。父親からの養育費がなく、習い事や塾、旅行に行けずに夏休みに一人で過ごす子どもたちもいます。日本語取得が難しい母親と、日本で生まれ育ち日本語を取得していく子どもたちとの間に言語障壁が生まれ、母親と日本語でコミュニケーションが取れなくなり、母親と話をしない子たちが出てくるという問題もあります。母親は仕事で忙しく不在がちで、子どもの勉強をみることができず、その結果、学力低下や不登校、非行、犯罪に走る子が増えてしまいます。自分たちの生活が厳しい中で、フィリピンにいる親戚や家族への送金の義務についても取り上げられました。

精神的問題としては、子どもたちのアイデンティティ危機や出自を知る大切さ、自尊心の欠如が見られることを指摘しました。「生まれてくるべきではなかった。居場所がない。フィリピンではハポン(日本人)と言われ、日本に来ても日本語ができないガイジンと言われる」という声が寄せられています。多くの問合せがある中で、「私は父と母がいたからこそこの世に生を受けた。なのに、私は父を知らない。私は父を知らない限り、私の心と身体の半分は満たされず、ひとりの人間として完成されない。だから私は父を知りたい。」、このように口を揃えて言われるそうです。

法的問題では、個人的な問題だけでなく、法改正をするために裁判をすることもあります。国籍確認訴訟として、子どもが認知される時期や両親が結婚したか否かで日本国籍の取得に差別をもうけることは、憲法14条に反するのではないかと訴え、最高裁判所で違憲判決が出ました。これは外国籍の子どもたちが原告として、違憲判決が出たのは初めてです。それ以外にも婚内子の子どもたちが日本国籍を喪失し、それにより父子関係の証明ができずに相続ができない問題への提訴や、現在進行中のものでは死後認知提訴期限についての問題があり、応援していただきたいという言葉で発表を終えられました。

【質疑応答】

JFCが対象にしてきた子どもたちの数や、JFCが具体的に法律支援した件数についての質問がありました。伊藤氏の回答では、婚外子や認知をしている人なら統計上出てくるのだが、国籍を喪失している人もいて統計が取れないため正確な数は把握できていない。1980年代から約6000組のカップルがいて、最低限1人生まれた計算で、20年、30年で計算すると何十万人という数は出てくるのではないか。法律支援した件数では、1件の相談で相談内容が多岐にわたることもあるので受件数としては増えることや、受理件数は約1800件、との回答がありました。

~フィリピン人移住者センター・石原バージ氏~

名古屋のフィリピン人移住者センターは2000年に作られ、今年で21周年になります。当時、困っているフィリピン人がたくさんいて、国籍、ビザ、家庭内暴力、フィリピン人同士の問題があり、行くところがありませんでした。名古屋に事務所ができましたが、フルタイムスタッフはあまりいなく、ほとんどボランティアで、石原氏はほとんどフルタイムです。名古屋はフィリピン人の人口が多く、全国からも電話相談があり、その中でも家庭内暴力の問題が多く寄せられています。1998年から7年間はボランティアで行っていて、オーバーステイの子どもが多く、フィリピン人同士の子どももいました。子どもの教育の権利があるので、国際子ども学校を作りました。最初にいた子どもたちは、オーバーステイでしたが、弁護士やみんなの力で在留特別許可がおり、ほとんどビザが取れるようになりました。オーバーステイの子どもたちが名古屋で暮らしていますが、今でも相談内容は変わっていません。その後、曜日ごとに相談を分け、月曜には教育支援(学校が終わってから、ボランティアの先生が宿題や日本語を支援)、水曜日はビザや国籍の相談、金曜日は女性の問題です。金曜日は一番相談が多く、労働問題、DV、ビザ、技能実習生、人身売買の被害者はまだたくさんいるとのことでした。

こうした相談だけではなく、まちづくりの会のプロジェクトにもコミュニティ・インテグレーション(地域のコミュニティに溶け込むこと)のプログラムとして参加しています。日本人と外国人・フィリピン人が一緒に地域のコミュニティに参加することによって、外国人としての気持ちが楽になると思っていると石原氏は説明しました。フィリピンのコミュニティが色々あり、たくさん団体を作れば、その分たくさん助けることができると考えています。コロナの時は情報を得られないことがとても大変でした。コロナ禍で自宅待機の人が出られない時は、相談を電話で受け、石原氏が買い物に行き、玄関に物を置いていました。この頃は、町内会や保健所も一緒に助け合っていたと言います。

日本の教育システムについてお話しました。名古屋でもたくさんの方が子どもたちの教育のことで困っています。日本にいるフィリピン人は、はじめは家族を助けるために仕事で日本に来るのですが、子どもたちを日本で大学に行かせたいという気持ちも持っています。日本の教育システムについてわからない人が多いので、情報を与えることや、社会の中で権利や義務、責任があることも伝えています。フィリピンの人も日本の社会に住んで、コミュニティの中にいるので、多文化共生や、多民族コミュニティとして何か貢献できるのではないでしょうかと、お話されました。

【質疑応答】

コミュニティ・インテグレーションの大切さが話されていましたが、活動を支えてくれる日本側のパートナーはいるのか、どうやって活動を支えてくれているのか、という質問がありました。東栄町まちづくりの会が大きな団体で、町内会のメンバーが公園の掃除や夏祭り、イルミネーションをしていて、フィリピン人も手伝うようになり、毎年そのイベントを手伝ってきたおかげで連携ができるようになったと石原氏が回答しました。今でも色々な協力をしてくれ、コロナ禍では食べ物を町内から配り、さまざまな支援をしてくれるようになったそうです。最初は難しかったけれど、今ではよかったと思っていること、外に出たら挨拶をしてもらえて、自分が「外人」ということだけではなく、自分も住民だという気持ちになれたと言います。外国人と町内会の連携ができたらよいということをお話されました。

~(特活)フィリピン日系人リーガルサポートセンター・石井恭子事務局長~

PNLSCは、戦前にフィリピンに移民として渡った日本人男性とフィリピン人女性の間に生まれた子(日系2世)で、戦争の混乱により父親と離別または死別して、その後フィリピンに残された残留日本人の法的支援を行っている団体です。

日系人の歴史的背景として、日本が貧しかった時代にアメリカの植民地下のフィリピンに出稼ぎに行き、1903年に道路工事での募集で渡ったのが初め、と言われています。未開拓のミンダナオ島ダバオではアバカ麻の産業がさかんになり、日本人移民が増え、定住し、日本人学校も作られました。現地女性と結婚する移民男性も多く、家族は現地に溶け込んで平和に暮らしていました。しかし、運命は戦争で一転し、在留邦人男性は日本軍により徴用され、戦争で命を落としたり、生き残っても日本に強制送還されたり、戦後、フィリピン人母とともに残された子どもたちが、PNLSCが支援対象としている残留日系人です。残された母子は、反日感情の強いフィリピンで出自を隠して、名前を変えて生きていく必要があり、貧困と差別に苦しみました。長く、父の国・日本とのきずなが断たれていましたが、日比の国交が回復し、日比間の経済交流が活発になっていくと、日系人どうしの交流が始まり、1980年前後にフィリピン各地で日系人会が発足しました。1992年の入管法改正で日系人に定住ビザが認められるようになると、フィリピンでも日系人会を中心に身元捜しの要望が高まり、90年代後半には民間ボランティアの協力で身元捜しが一定進みました。しかし限界があり中断。本格的な身元捜しと、どうしても身元がみつからないケースの救済を、という現地からの要請があり、2003年11月にPNLSCが、任意団体として発足しました。

PNLSCのミッションは、1)2世の身元捜し、つまり父である1世の戸籍を探すこと、2)日本人として認めてほしいという2世の希望のもと、2世の国籍を回復させること、の2つです。ほかに、2世の日本への一時帰国支援や、親族対面の支援も行っていましたが、2018年以降は、2世の高齢化とコロナにより実施できていません。

国籍回復の方法としては、日本人であることを示す戸籍がないため無戸籍者となっている残留2世に対して、家庭裁判所の許可を得て戸籍を作るための申立てを支援しています。父親が日本人であることの証明として、両親の結婚の証明、戦前にフィリピンに渡航した外務省の資料、アメリカ軍が作成した捕虜の名簿や洗礼の記録があり、日比でこれらの調査、収集を行っています。このような証拠が残っていることは稀で、今では証拠がない人が圧倒的に多く残されています。必ず実施することとして2世本人への聞き取りがあり、生い立ちや父親について覚えていることを聞いて陳述書を作成します。コロナ禍でオンライン面接を試みるようになり、2世本人はフィリピンの自宅にいながら、東京事務所、マニラ事務所とつながり、通訳と共に聞き取りが進められるようになりました。この陳述書は身元捜しの手がかりとして、また家庭裁判所に提出する証拠の1つとして活用されています。
PNLSC発足以後、275人の2世が就籍により国籍を回復し、現在は比較的短期間で許可が出るようになるなど、成果は上がってきたとはいえ、証拠がない人の国籍回復は依然ハードルが高く、いまも300人あまりが無国籍と見積もられています(生死不明者を含む)。PNLSCには故人を含め3800人余り人の2世が残留者として登録されていますが、家庭裁判所への就籍許可の申し立ては、本人が亡くなってしまうとできないため、無国籍で残されている約300人の方の国籍回復が緊急課題となっています。

日比両政府の対応について、日本は厚生労働省が中国残留孤児には取り組んでいるのですが、フィリピン残留日本人に対しては冷淡で、取り組んでいません。外務省は1995年から残留日本人の実態調査を14回以上実施しており、実際身元を探すことはしていませんが、調査には予算をつけてくれるようになりました。他方、フィリピンは、無国籍者の保護にとても熱心で、無国籍者の地位に関する条約をアジアで初めて批准した国であり、残留日本人2世の国籍問題にもシンパシーを持ってくれています。しかし、無国籍をなくすといっても、「彼らがほしいのは、フィリピン国籍ではなくて日本国籍だ」ということがあり、日本政府が動かないことにはこの問題は解決しません。

2021年にUNHCRフィリピン事務所が、フィリピン残留2世に注目し、提言報告書を出しました。問題解決に向けて、フィリピンと日本の二国間合同を提言し、2024年までに、と期限をつけており、UNHCRが提言したことが日本政府を動かす力になるのではないかと期待しています。外務省からの委託調査として、数か月前から生存2世の現況調査が開始されたため、現地スタッフが調査を始めています。住所が変わって連絡が取れなくなっている人たちに対しては、スタッフがSNSで連絡をして探し出しています。課題は、何よりも時間がないということ。生きているうちに国籍回復のための申し立てをしなければいけないのですが、弁護士に配転しても年間20件の申立てが精いっぱい、準備に時間がかかるため、スピードアップが求められます。残されているのは証拠がない人たちなので、中国残留孤児の時に厚生労働省が中国政府と作成した「中国残留孤児名簿」を応用し、日比両政府が「フィリピン残留孤児名簿」を作成、これを切り札にできないかと考えています。もう1つ、2022年の課題は、非摘出子の問題です。国籍回復を急いでいる約300人の1割は非嫡子で、父親の情報が少ないため、身元捜しも難しく、この人たちをどのように救済できるかに頭を悩ませています。さらに、日本に定住している3世からも国籍取得の希望があり対応している、このほかフィリピン人日系人会の発展を促進する活動や日系人の歴史を遺す活動、伝えていく活動もしており、活動は寄付やボランティアで支えられているため、寄付やボランティアをしてくださる方を募集中だと、お話されていました。

【質疑応答】

参加者の一人、ミンダナオ子ども図書館(MCL)の松居氏より、MCLにも日系人がいて、その子たちが学校に行けない、食べられないという問題がある。これからの日系人会の方向性として、そこに残された子どもたちを視野に入れて次の世代に対して考えていることについて質問がありました。
石井氏は、地域の日系人会が拠点になって小規模事業をして、雇用を作るということができればいいが、試してはみたものの今のところ継続はできていない。日本に定住ビザを取っていくことだけが日系人の道ではないので、フィリピンで収入向上のための事業を日系人会がしていければいいと思っている。数年前、太陽光発電を使ったペットボトルで簡易発電のワークショップをした、作成した簡易発電を家庭に普及したり、地域の街灯にしたりして活用できる、同様のワークショップを他地域でも実施していくことを計画中。日本語教育も行いたいが治安の問題で教師を派遣できていない。これからの課題だと、と回答しました。

MCLでは、靴も何もないところから、MCLに住み込んで、大学に行って自立した子もいることが松居氏から指摘され、アバカ麻を昔からの方法で作っている方もいるので、服か何かを作って日本で売る提案や、山の中にいる人々を助けられる活動の方向性についての質問がありました。日系人自身が力をつけて、人材育成をして、日系人の集いの場所になるとよいと思うが、日系人は身元が見つかると日本に行ってしまうので、日系人の中でも格差が生じていること、日系人同士がどうやって助け合っていけるかが日系人会の課題でもあると、石井氏が回答しました。

~全体での質疑応答~

3つの団体が、外部でどんなネットワークを使って活動をされていたのかという質問がありました。JFCの伊藤氏より、フィリピンでは、ダバオのRCSというシスターたちのグループがあげられました。元々ジャパゆきコミュニティと呼ばれるぐらい、多くのフィリピン人が日本に出稼ぎに行き、JFCが多いところなのでJFCのサポートを彼女たちのミッションとしているそうです。マニラ周辺しか受けられなかったケースが、オンラインが進んだことでフィリピン全土の相談が受けられるようになりました。日本国内では、石原氏の所や、移住連という組織とネットワークを持って活動しています。国籍が取れたり、認知されたりしたケースは日本に行く人が多く、日本に行けば幸せになれると思うのですが、人身取引の問題があり、搾取的な労働条件で日本に労働に来ることが後をたたないそうです。フィリピン国内で彼女たちや子どもたちを経済的にどのように自立させるのかが課題であり、だから日本に来ているのではないか、日本に来ても良いのだが選択肢としてフィリピン国内でも生きていける経済的な力があれば、人身取引につながる渡航はなくなるのではないか、そういうフィリピン側のネットワークが何かないかと漠然と考えていると話しました。これがフィリピンのネットワークでほしいものであり、PNLSCの石井氏とのお話とも重なる点として、日系人はどうやって日本に来るのかという質問が、伊藤氏から石井氏にありました。石井氏は、今は呼び寄せが多く、日系人会が関与しながら日本に送り出していて、それ以外のエージェントに行くと、悪質なところがあり危ないこともあります。身元が判明している人ができるものなので、身元が判明していない人に対してフィリピン国内でどうやって支援できるかが課題だと、回答しました。

都立高校で10数年、外国ルーツの子たちに日本語を教えている参加者から、本学習会が非常に勉強になったとコメントがありました。高校で教えている立場から、家族をフィリピンから呼び寄せることに対して、日本に来て勉強することの困難さを楽観視してきているような気がすること、勉強についていけない子のことがあげられ、フィリピンに残ってお金を送ってもらって大学に行くという選択肢は考えなかったのかという疑問が指摘されました。
それに対して、松居氏から、MCLでは子どもたちに「海外に行くなよ。日本に行っても寂しいだけ。ミンダナオをよくするのがいいからね」と話していると回答がありました。日本では引きこもっていた若者がMLCに行くと、これで自分は死ななくていいと安心するそうです。MLCでは、日本の子たちを助けるために宿泊費をゼロにして滞在させていますが、フィリピンルーツがある子どもたちが、そういった場所で経験をすることで、自分の母親の故郷の素晴らしさや学校の良さを知ると言います。日本で心が病んだ子やフィリピンにルーツがある子たちが、そこに行ってみたいという気持ちになり、仲間と滞在しながら学校に行けるような場所を作ったらいいのではないか、現地の方で生きていく力を持てる場を作ってあげるということをしてほしいと、松井氏は話されました。

個人でもできる支援の仕方について知りたいという質問が、個人の方からありました。石原氏からはボランティアを募集していて、特にケースワーカーを必要としているとお話がありました。DVの被害者が一番の問題で他には、技能実習生の問題も指摘されました。移住連や他のNGO、NPOのネットワークがありますが、20年間のデータがあるので、証拠となる書類の作成をしたいことや、うつ病と精神の問題が多いので、英語が話せる精神科医やカウンセラーのような専門家が必要と切実に話されました。

都立高校の教師からの質問に対して、JFCの伊藤氏より、フィリピンからどうして日本に来るのか、子どもが勉強することの苦労を分かっていないということに対して回答したいと手があがりました。子どもが日本の国籍を持っている場合は、母親は来日することができます。子どもが未成年のうちは、母親は日本で生活することができるので、日本で働きたいという気持ちで、子どもが日本国籍であることを理由に、日本に来るのではないでしょうか。子どもが小さうちはいいのですが、小学校高学年、中学校、高校から来日する子どもたちは日本の生活になれるのはとても大変で、そのサポートは困難です。石原氏の話にもあったように、日本でタガログ語ができる医者や精神をケアしてくれる専門家が日本にもほしいと思います、とお話されました。PNLSCの石井氏からの補足では、日系人の4世や5世も小さい子どもを連れてくるケースが指摘されました。3世は日本で長く働いている人が多いのですが、家族がバラバラになるため、早い段階で日本に連れてくる家族が多いと思います。日本に定住している3世が高齢化して、4世が成人している場合は、日本に子どもたちが来られないと苦しんでいる人もいます。そのため、日本に呼び寄せることに対して大変な面もありますが、働き出してうまくいくという日系人も多いという印象があるとお話され、質疑応答を締めくくりました。

~おわりに~

閉会の挨拶は、運営委員会代表の伊藤道雄氏が行いました。クリスマスを迎えるこの時期に、本来は幸せであるはずの家庭が壊されているケースがあり、NGOの方が支援しているフィリピン人家族や子どもたちが、クリスマスをどのように過ごしているのか関心があり、今回の報告をいただいたとのこと。今回の学習会で学んだこととして3つがあげられ、1つ目は、男性の無責任な行為がありますが、背景には経済のグローバル化があり、貧困がゆえにフィリピンの人が日本に来て、日本人男性の間に子どもが生まれたということ。2つ目は、移住先の日本で思ったような生活を展開することができないという問題に直面していること。3つ目には戦争。これは国家が引き起こしたものであり、国家の責任は何なのかが問われています。JFCの子どもたちや名古屋の移住者センターで支援している子どもたちの国籍が取れない問題がありますが、(運営委員会代表が代表理事をつとめる)ACC21の事業の1つ、「日韓みらい若者支援事業」を通して、在日コリアンの約3万人が無国籍状態であることを最近知ったと話しました。日本が朝鮮を併合した時から始まり、その後朝鮮半島が南北に分かれた後、無国籍になった人がいます。本来その人の安全を守るために国家や国籍があるはずが、それが逆に人の不幸を招いているという現実があると指摘し、国家や国籍にかかわらず、人間個人の幸せを追求する社会をNGOは目指すべきではないかと話しました。

学習会の中では、発表者間で意見交換をすることや、これをプラットフォームとして、今後みなさんがどう連携して発展していけるのかという議論をしていただきたいという願望をお話しました。NGOは人間の体の毛細血管のような、ちっぽけな存在。社会の隅々まで酸素や栄養を送り届ける役割を持っているので、小さくても複数のNGOで社会変革を目指せば、変革は不可能ではなく、一人ひとりが力を合わせれば、なにかしらの社会変革は成し遂げられると信じています。近い将来、皆さんが支援している家族や子どもたちがハッピーなクリスマスを迎えられることを願い、JPNとしてはこうした場を作り、応援していきたいと会を締めくくりました。