• ホーム
  • 日比NGOネットワーク(JPN)とは
  • 比日NGOパートナーシップ(PJP)とは
  • フィリピンに関わる日本のNGOダイレクトリー
  • 企業のCSR情報
  • JPNニュース
  • フィリピン情報リンク集(政府・学術・観光情報ほか)
  • ご参加の方法
  • お問い合わせ・アクセス
  • 緊急支援
HOME > JPNニュース > ミンダナオの危機情勢分析ペーパー

ミンダナオの危機情勢分析ペーパー

2017年09月28日

2017年9月28日
(特活)アジア・コミュニティ・センター21(文責:八木)

はじめに

mindanao1.jpg
図1.戒厳令対象地区(出所:ロイター。訳は筆者)
2017年5月23日ミンダナオ島マラウィ市においてフィリピン政府軍と警察部隊によるイスラム過激派掃討作戦が開始され、同日、ドゥテルテ大統領により、ミンダナオ島全土に戒厳令が発出された。大統領要請を受け、7月22日フィリピン議会は戒厳令の年末までの延長を承認した。政府治安部隊が、支配地域を拡大していることに対して、イスラム過激派武装勢力の抵抗も激しく、9月中旬現在、政府軍は、ミンダナオ全土の支配を確立していない。現地の治安情勢の悪化により、約40万人以上の国内避難民が発生していると伝えられている。本ペーパーでは、断片的な報道だけで、包括的 なイメージが描きにくい現地の治安情勢に関する分析を試みる。

1. 事実関係(現地でいかなる事態が起きたのか)
(1)5月23日にフィリピン政府の治安部隊が、ミンダナオ島に拠点をおくイスラム過激派組織のひとつであるアブ・サヤフ・グループの首領イスニロン・ハピロン(Isnilon Hapilon)の隠れ家を急襲し、マウテ・グループ・リーダーの追撃も開始した。ロシア訪問中であったドゥテルテ大統領は、マウテ・テログループがマラウィ市の病院や一部の政府・民間施設を攻撃し、イラク・シリアのイスラム国(ISIS)の旗を掲げて、フィリピン政府への反逆を試みたとしてミンダナオ島全土に60日間の戒厳令を宣言した(参考1)。マウテ・グループのみならずバンサモロ(Bangsamoro)イスラム解放戦士(BIFF)は、ミンダナオの別の地区で同時に攻勢に出たとされる。
mindanao2.jpg
写真1.マウテ・グループ戦闘員が市内で
ISの旗をなびかせている
(2)戦闘は市内、周辺各地で発生し、ジハーディスト(聖戦戦闘員)は、仕掛け爆弾(IED: Improvised Explosive Device)やスナイパー(狙撃兵)を駆使し、抵抗を試みた。当初米国からの支援を躊躇っていたドゥテルテ大統領も、現地情勢の鎮静化に手こずり、米国ならびに豪州の支援を仰ぐ1こととなった。米国は、6月初旬から高度の武器、ドローンで撮影したインテリジェンス情報をフィリピン側に提供を開始し、特殊部隊がフィリピンのカウンターパートに訓練を施し、一方豪州は、2機のAP-3COrionをミンダナオに投入したとされる。
(3)政府軍側は支配地域を拡大している2ものの、最終的な解放に至っていない。犠牲者も拡大しており、9月初旬の時点で少なくとも全体で860名が死亡した3と報じられている。大統領は7月中旬、2017年末までの戒厳令延長を議会に要請し、戒厳令発布から60日目にあたる7月22日議会は延長を承認した。

2. フィリピンのイスラム組織と政府との関係
mindanao3.jpg
図2.ミンダナオ島イスラム教徒自治地区
(1)フィリピンには、約1億人の総人口の5%を占める500万人のイスラム教徒が存在するとされ、その多くは、ミンダナオ島に居住している。フィリピンにおけるイスラム教徒の歴史は、現在の80%以上を占めるキリスト教徒よりも長く、16世紀にスペインの植民者が来訪した際、イスラム教徒をスペイン語のMoor人を由来に、モロ人(Moros)と呼んだとされる。以来モロ人たちは、マニラの支配に反発し、「モロ人の国」を意味するバンサモロ(Bangsamoro)の独立、あるいは自治確保のために、中央政府に抵抗してきた。過去半世紀を振り返れば、人々が貧困、失業、政治的・経済的周縁化に直面したミンダナオ島では、政府軍と反体制側イスラム武装勢力あるいは共産主義者グループ4とが流血の衝突を断続的に発生してきた。
(2)70年代以降、分離独立の動きを警戒する政府とイスラム武装組織との間で、武力衝突5、停戦、自治、和平協議が繰り返されてきた。1989年には、イスラム教徒の自治を認める基本法(Organic Act、Republic Act No. 6734)が成立したが、住民投票の結果、賛成は4州6にとどまり、4州でイスラム教徒自治地域(ARMM)が1990年11月6日発足した。しかし、当時の南部のイスラム教徒の中心的な組織モロ民族解放戦線(MNLF)は、基本法を拒否し、ラモス政権下でMNLFは4年間の交渉の末1996年政府との間で1976年OICが仲介したリビア合意実現のための合意を結んだ。 しかし、イスラム陣営内の反発も強く、MNLFからは多くのグループが離脱し弱体化した。その結果、MNLFから分離したモロ・イスラム解放戦線(MILF)がその後の主導権を握ることとなった。MILFはミンダナオ中部を支配し、現在12,000名の兵士を抱えるとされる。政府とMILFはアキノ政権下で2012年10月に自治拡大で大枠合意を達成し、さらに同政権下で、2014年3月27日、政府はMILFと自治付与のための包括合意7に署名したものの議会が否決し、和平協議は2015年、ママサパノの虐殺事件8等で一般国民の支持を失ったとされ、暗礁に乗り上げていた。
(3)他方で、政府とMILFとの間には小委員会(パネル)が設置されており、MILF支配地域における、法の執行においては事前協議を行うこととしている。政府は、6月2日MILFと協力してマラウィ市(Marawi)とマラバン(Malabang)市を結ぶ「平和の回廊」設置に合意し、合同調整・モニタリング・支援センター(JCMAC)を設置し、住民の避難と人道支援物資の搬入に協力している。さらに今回の過激派掃討作戦においても、政府側治安部隊はMILF勢力と共闘していることが看取される。

mindanao4.jpg
図3.フィリピン政府とMILF共同設置のマラウィ市(Marawi)とマラバン(Malabang)市間の平和回廊
https://peace.gov.ph/2017/06/joint-gph-milf-peace-corridor/

3. マウテ・グループとは
mindanao5.jpg
図4.マウテ兄弟家族構成(原典Vera Files)
http://www.philstar.com/headlines/2017/05/29/1704755/duterte-bestows-isis-status-maute-group
(1)マウテ・グループとは、2012年11月21日にインドネシアのガマーア・イスラミーヤ(GI)系列のGIミンダナオ支部長9が政府治安部隊により殺害されたあとにアブドッラー・マウテとオマル・マウテが立ち上げた先住民のマウテ一族の武装組織であり、2016年末の段階で総兵力263名との報告がある10
(2)マウテ兄弟は、男性7名、女性5名の12名で構成される。3男のアブドッラーと次男のオマルは、インドネシアのGIと関連が深く、1990年代GIの関係者により訓練を受けたとされる11。アブドッラーは、イスラム学者と認められている12。オマルは、エジプトのアズハル機構・大学に留学した経験があり、インドネシア人でGIグループに近い女性を妻にしている13。長兄通称オット14は、MILF軍事部門の元副議長の娘を妻にして長の娘を妻にしており、ラナオ地区のマウテ・グループの作戦・インテリジェンス活動を統括しているとされる。6月にマウテ・グループ兄弟の父親カヤモラと母親オミンタ・ファルハナが治安当局によって拘束されている。
(3)マウテ・グループは戒厳令発出の前にも、警察施設の攻撃等で過激組織のひとつとして知られていたが、特段ISとの関係は、指摘されてこなかった。5月23日に治安部隊が急襲した対象も、2014年の段階でISの指導者バグダーディに忠誠を誓ったアブ・サヤフのリーダーであり、マウテ・グループのみが標的になっていたわけではない。今回のマラウィ市内における襲撃でISISの旗を掲げたことで、「フィリピンのIS属州(ウィラーヤ)」として名を広めることとなった。これにより、ISの外国人戦闘員が、マウテ・グループに加わり、マウテ・グループは、一地方の弱小組織から国際的な知名度を有する組織として知られるに至った。
(4)因みに、IS(イスラム国)に忠誠を誓うミンダナオ島内の組織は、マウテ・グループだけでなく、その中には、バンサモロ(Bangsamoro)イスラム解放戦士、フィリピンにおけるカリフの信奉者、アブ・サヤフ・グループが存在する15

4. 今後の展望
(1)過去7度ミンダナオ島の中心都市ダバオ市の知事を務め、現地の政治、経済、社会情勢に詳しいドゥテルテ大統領は、就任一年にして出身地の同島で最大規模の危機に直面している。政府軍は、過去4か月にわたり、20万人のイスラム教徒が居住するミンダナオの都市、マラウィの解放に全力で取り組んでいる。しかし、同地域の一部はいまだにISISに忠誠を誓ったマウテ・グループその他のジハーディスト組織に占拠されている。ISISは、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を駆使して、外国人戦闘員にミンダナオにおける戦闘に参加するよう呼び掛けている16。この危機をどのような形で乗り切ることができるのかが、大統領の政権維持にも、ミンダナオのイスラム教徒の自治にとっても大きな意味を有する。
mindanao6.jpg
写真2.大統領とMILF議長とのバンサモロ基本法草案贈呈式
http://www.thestar.com.my/news/regional/2017/07/17/philippines-duterte-offers-muslim-self-rule-to-counter-is/
(2)このためのドゥテルテ大統領の戦略は、①国内のイスラム教徒の多数を味方に引き寄せイスラム過激派を孤立させること、②周辺国、とくに海上で境界を共有するインドネシアやマレーシアと協力して、外国人ジハーディストの国内侵入を阻止すること、③この機に乗じて共産主義分離主義者が反政府活動に出ることを阻止すること である。
①については、7月17日、大統領は、政府職員とMILFのメンバーが共同で草案作成したフィリピンのイスラム教徒に対して自治を認める「バンサモロ基本法」案の受領式に臨んだ。これは、イスラム教徒の多数派との連携を示すことで、ジハーディストを孤立化させる動きと考えられる。イスラム教徒側からすれば、政府に協力することで、基本法の議会での承認、それを受けた自治拡大を期待している。②については、東南アジアの各政府にとっても、ミンダナオ島におけるISISへの忠誠を誓うジハーディストの活動の活発化と外国人戦闘員の流入は、自国の安全保障にとっての脅威が増大していることであり、6月フィリピン、インドネシア、マレーシアの3国は、スールー・スラウェシ海域の共同パトロール実施を宣言17し、さらに6月22日マニラでの3国外交・治安協議が開催され、共同でテロ対策を一層強化18していく決意を表明した。③については、大統領は、フィリピン南部におけるイスラム過激派以外の治安への脅威である共産主義者との停戦を確保し、ジハーディストとの闘いに注力する必要があり、停滞していた和平に向けての協議再開を呼びかけつつ、それに応じない場合の対抗手段も発し19つつ対処しようとしている。


参考1 戒厳令写し(Proclamation No216. 2017年5月23日発出)
mindanao7.jpg mindanao8.jpg

◆大統領が戒厳令発出に際し5月25日上下両院議長に提出した理由書(一部抜粋)
http://verafiles.org/articles/duterte-maute-group-committed-act-rebellion-marawi-city
mindanao9.jpg




参考2 IS関連組織の支配地域とマウテ・グループの訓練・作戦基地
mindanao10.jpg
mindanao11.jpg
(出所:Vera files Phil Star報道)

3.南部フィリピンにおける従来までの主要な反体制派組織
(以下の説明は、主として英国放送協会(BBC)「ミンダナオ紛争へのガイド:Guide to the Philippines conflict」を整理したもの)
http://www.bbc.com/news/world-asia-17038024

mindanao12.jpg
(出所:BBC.com)
フィリピン南部では、中央政府とイスラム教徒の分離主義者、共産主義者、犯罪集団を含む武装集団との間での長い間紛争の歴史がある。 歴史的には、イスラム教徒分離主義者としては、モロ民族解放戦線(MNLF)、モロ・イスラム解放戦線(MILF)、アブサヤフ(Abu Sayyaf)の3つのグループが知られていた。 MILFとアブ・サヤフ・グループは、MNLFから離脱グループ。
一方、共産主義者による反体制活動は、フィリピン共産党(CPP)の軍事部門である新人民軍(NPA)の共産党によって扇動されている。南部の紛争の大部分は中央ミンダナオ島の遠隔地、特にバシランとジョロにある。



(1)モロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front)
mindanao15.jpg
写真3.ヌール・ミスアリMNLF創設者

ミンダナオでは、植民地時代にスペイン人によってモロまたはムーアと呼ばれたイスラム教の信者が人口のかなりの部分を占めていた。ヌール・ミスアリ(Nur Misuari)はモロ独立のためにフィリピンの国家と戦うことを目標に、1971年にモロ民族解放戦線(Moro National Liberation Front:MNLF)を設立。国連が後押しするイスラム諸国会議機構(OIC:Organization of the Islamic Conference)の介入で、1976年にリビアでいわゆるトリポリ協定に署名した。しかし、この合意は長続きしなかった。1986年、アキノ大統領は個別にミスアリと会談。 1989年に、アキノは、ムスリム・ミンダナオ(ARMM)における自治区の設立しならびに地域のイスラム教徒居住地区に大幅な自治権限を認めた法律に署名。

ARMMは、本土の州マギンダナオとラナオデルスールと、島嶼州であるスール、タウィ・ タウィ、バシランで構成されている。しかし、MNLFとの重要な平和協定は、ラモス大統領と1996年に署名された。これはミスアリが自治地区指導者に就任する道を開き、同年にARMM知事に選出された。しかし、彼の任期は2001年11月に蜂起を率いて失敗した暴動をもって終了した。彼は投獄され、最終的には2008年に釈放された。2005年2月、ミスアリに忠実な者たちは、スール諸島のジョーロ最大の軍隊に対する一連の攻撃を開始。この原因は、ミスアリ派との関係を有する武装勢力のアブ・サヤフを標的とする大規模軍事作戦にあったと考えられている。グループは2007年8月に、約60人の死者を出したジョーロの部隊の襲撃の背後にあったとされた。2008年、ミスアリはMNLF議長の座を追放され、リミム・セマが後継者となった。長年にわたって、MNLFは弱体化していると信じられており、多くの派閥が本体から分離した。現在、ミスアリが依然としてMNLFの一グループを率いている。ミスアリは、MILFとの合同での政府対応を拒否している。

(2)モロ・イスラム解放戦線The Moro Islamic Liberation Front

mindanao13.jpg
写真4.ハッジ・ムラードMILF議長
モロ・イスラム解放戦線は、同国最大のイスラム教徒反体制組織とみなされている。 それは、1978年にMNLFから分離したサラマット・ハシムの指導者が1981年に結成した。MILFは、フィリピン南部に独立したイスラム国家を創設するという長期的な目的を有している。1997年以来、同グループはフィリピン政府との一連の和平交渉を行っており、その多くは2003年以降マレーシアが仲介していた。現在の議長は、アルハジ・(ムラド(Al-Hajj Murad), 副議長はガザリ・ジャファル(Ghazali Jaafar)。2017年5月以降の治安部隊とジハーディストとの戦闘発生を受けて、MILFは、6月2日MILFと協力してマラウィ市(Marawi)とマラバン(Malabang)市を結ぶ「平和の回廊」設置に合意し、合同調整・モニタリング・支援センター(JCMAC)を設置し、住民の避難と人道支援物資の搬入に協力している。

また、ハッジ・ムラード議長は、7月17日のバンサモロ基本法草案贈呈式に出席し、ドゥテルテ政権との接近が注目されている。

2008年に、アロヨ政権は、イスラム教徒のホームランドについて、MILFとの合意に達したと述べた。しかし、フィリピン最高裁判所は、合意案が違憲であるとの判決を下し、交渉の失敗が新たな戦いを促した。アキノ大統領は、和平プロセス加速のため、2011年に東京のMILF指導者と会談を行った。10月7日、マレーシアでの協議の後、政府がMILFとの枠組み平和協定に達したと発表した。今回の合意では、ミンダナオ島に「バングサモロ」という新しい、より大きな自治区が形成されることが求められている。重要なポイントには、兵力の漸進的廃止、民主的および人権の保証、ムスリム居住者のためのイスラム法に基づくシャリア(Sharia)裁判所の拡大などがある。

(3)アブ・サヤフ(The Abu Sayyaf)グループ

mindanao14.jpg
写真5.アブ・サヤフ首領ハピロンの手配書
アブサヤフ(Abu Sayyaf)は、フィリピン南部のイスラム分離主義グループの中でも最小規模でありながら、最も過激。彼らは、ミンダナオ島とスール諸島の独立したイスラム国家の目標を達成するために、身代金をとるための誘拐や爆弾事件を行うことが知られている。。政府は、この反政府勢力を犯罪者集団に過ぎないと見て、いかなる形の会談も拒否している。

アブ・サヤフ(刀鍛冶の父の意味)グループは、1991年にアブドラガク・ジンジャラーニがMNLFから離脱し、創設。1998年ジンジャラーニは警官隊との衝突で死亡した。 彼の弟、カダーフィ・ジンジャラーニが後継者となったが、彼もまた、2006年9月にフィリピン軍によって殺害された。2007年6月の報道によると、アブ・サヤフ・グループは後継者として、グループ創設者の一人であるヤーセル・イガサン(Yasser Igasan)を選んだとされる。MNLFとMILFの双方ともアブ・サヤフの活動を非難。米国は同グループを「テロ組織」のリストに含め、オサマ・ビンラディンのアルカーイダ・ネットワークとのつながりを持っているとされてきた。2017年5月23日フィリピン治安部隊にアジトを急襲されたインスニロン・ハピオンは脱出し、マウテ・グループ等と連携し、治安部隊と戦っている。

(4)バングサ・モロ・イスラム解放戦士(Bangsamoro Islamic Freedom Fighters:BIFF)

結成は、2010年12月結成。性格はISに忠誠を誓ったジハーディスト組織。
戦闘行為:2012年8月ミンダナオ島で軍事拠点を中心に11村落を襲撃。2015年1月のママサパノ  襲撃事件ではMILFと共同で、治安部隊44名の殺害事件に関与(MILF18名、BIFF5名死亡)。これが政府とMILFの和平プロセス停滞につながった。

(5)フィリピンにおけるカリフ国の信奉者(Ansar Khalifa Philippines)

2014年ISISへの忠誠を誓ってその存在が知られるようになった。アブ・シャリーファという人物によって創設されたとされる。次のリーダームハンマド・ジャファル・マギード(Mohammad Jaafar Maguid)は、2017年1月5日フィリピン警察によって殺害されたとされる。同人は爆弾製造の訓練を受けいていた模様。まもなく、次のリーダーアブドッラー・ニロンも警察当局に拘束されたとされるといわれている。治安当局は、AKPは2016年のダバオ市内爆破事件をマウテ・グループと共同で実施したとみている。同グループは、アブ・サヤフとも協力関係にあるといわれている。

(6)新人民軍(The New People's Army)

新人民軍(NPA)は、ホセ・マリア・シソンによって1969年に設立されたフィリピンの共産党(CPP)の軍事部門である。CPPは、世界で最も古い共産主義勢力の1つと考えられ、ゲリラ戦を使ってフィリピン政府を打倒そうとしてきた。NPAが長年にわたって行った反乱はフィリピンで最も致命的な打撃を与えたと報告されており、地方政府の報告では犠牲者は少なくとも4万人に上っている。 このグループは、米国国務省の外国テロ組織リストに掲載されている。CPPはマオイスト(毛沢東主義者)の支持を得て農村革命をモデルにして創設されたが、中国共産党は2011年に至ってCPPを支持しないと発言した。CPPは1980年代に戒厳令の影響を受け、その影響はそれ以来衰退した。

NPAには現在も少なくとも1万人のメンバーがいると推定されている。 彼らは、地元住民と外国人の誘拐、暴行と殺人を行っているとみられている。創設者のホセ・マリア・シソン(Jose Maria Sison)を含むNPAの幹部の多くは、オランダを避難地として、そこからの作戦を指揮しているとの指摘がある。CPPの政治部門と政府の間の会談は、長年にわたり散発的であった。2004年には、ノルウェーのオスロ首都圏の政府関係者と会談して、反政府勢力の代表が召集され、和平プロセスが復活した。 しかし、米国のテロ組織リストにNPAを含めることで政府を非難した後、和平交渉は中断された。シソンは、2007年8月、オランダで、2003年と2004年に2人の元共産主義者の殺人を命じたとして起訴されたが、その後取り下げられた。2011年フィリピンの軍隊は少なくとも23の州にはNPAは存在しないと宣言した。 CPPはクレームを否定した。政府とCPPの間では2011年にオスロで会談が開催されたほか、今日までプロセスは続いている(2017年7月以来協議は中断)が、まだ合意に至っていない。



(脚注)
1.フィリピン憲法は外国軍隊が実際の戦闘に参加することを禁止しているため、米軍はフィリピン治安部隊のアブ・サヤフ等過激派との戦いを支援してきたが、その任務は訓練とインテリジェンス、アドバイスに限定されている。
2.国軍ミンダナオ西部管区司令官 ガルベス中将( Carlito Galvez)は、9月17日発出の声明において、治安部隊は16日、マウテ・グループからバトゥー・モスク(Bato Mosque)ならびにイスラム関連重要施設(the Amaitul Islamiya Marawi Foundation、the Jamaitul Philippine Al-Islamiyah)を奪還したと発表。
http://www.yenisafak.com/en/news/philippines-govt-troops-retake-historical-mosque-2793769
3.2017年9月8日付ディリーサバフ紙
(https://www.dailysabah.com/asia/2017/09/08/us-to-provide-15m-in-aid-to-war-torn-philippine-city-of-marawi)
4.ドゥテルテ大統領は、和平交渉再開の4条件のひとつである停戦文書を共産主義者新人民軍(NPA)と交わした。
(4.02) オランダでのNDFとフィリピン政府との4度目の交渉は、明確な理由が示されないまま延期された。
5.ミンダナオ島では、70年代以降10万人以上が犠牲になったとされる。
6.ラナオ・デル・ソル州、マギンダナオ州、スールー州、タウィタウィ州。
7.2012年の基本枠組みとその後結ばれた4本の補足覚書を含む合意。
8.2015年1月25日 BIFFは、MILFとともにママサパノ事件に関与。フィリピン治安部隊44名。MILF18名、BIFF関係者5名が犠牲になったとされる。
9.GI支部長は、サヌーシ・アリアス・ガーリブ(Sanusi alias Ghalib)。
10.末尾参考1のドゥテルテ大統領が上下両院議長に提出した戒厳令理由書参照。
11.彼らは、GI関係者(Omar Patek 、Zulkifli bin Hir alias Marwan)がミンダナオのMILF支配地域に避難してきた際、訓練を施したとされる。治安当局は、インドネシアのJIリーダー・サヌーシが2012年11月21日隠れ家で殺害された際、JIの資金の移動をマウテ一族が助けていた証拠をみつけて、その後、マウテ・グループをモニターしてきたとされる。 12.ヨルダンとインドネシアのドナーから5百万ペソの贈与を受けたとされる。アブドッラーは35歳。 ヨルダン・カラク県のムタ大学からヨルダンのムタ大学でイスラム・クルアーンに関する博士号を取得した。
13.オマルは、サヌーシの兄弟であるインドネシア人と関連があるインドネシア人(Minhati Midrais)と結婚した。
14.マウテ兄弟の長男モハンマド・ハヤム(Mohamadkhayam "Otto" )is married to the daughter of MILF軍事部門の元副議長(Alim Aziz Mimbantas)の娘Adlia Mimbantasと結婚。 オットはイースト大学の土木工学で学位を取得し、同大学で妻と知り合っている。
15.MILF/バンサモロ Islamic Armed Force (MILF/BIAF), MNLF/バンサモロ Armed Forces (MNLF/BAF), バンサモロ・イスラム解放運動/バンサモロ・イスラム解放戦士 (BIFM/BIFF), アブ・サヤフ・グループ/イスラム運動 (ASG/AHAI), フィリピンにおけるカリフの信奉者 (AKP)が参加。但し、フィリピンで米国務省のテロ組織に指定されているのは、アブ・サヤフ・グループと共産主義者のNPAのみ。
16.8月20日ハヤート・メディアセンターは6分間のプロパガンダ映像を流して、主として豪州等のジハード主義者を対象として、マラウィでの政府軍との戦いに参加するよう呼びかけた(8月21日付マスダル・ニュース)。
17.6月28日付The Diplomat Com.「What did the AEASN Trilateral Terror Meeting Achieve?」
18.3国は、インテリジェンスの共有、国境に沿った違法行為の抑制、テロ資金の停止、サイバースペースでのテロ関連コンテンツの拡散を含む、共同テロ対策アプローチを具体化する行動計画に取り組むこととなった。
http://thediplomat.com/2017/06/what-did-the-asean-trilateral-terror-meeting-achieve/
19.ドゥテルテ大統領は、就任後共産主義者との和平を模索してきたが、治安当局への襲撃等でとん挫してきた。9月9日、7月以来停止している共産主義者との和平協議再開は、共産党が停戦宣言を行った場合のみ実施される。共産主義者が反乱行為を続けるのであれば、自分(大統領)はフィリピン全土で戒厳令を発出することもためらわないと発言。一方、オランダに居住中のフィリピン共産党創始者ホセ・マリア・シソンは、ドゥテルテ政権との和平協議中断を宣言し、対立姿勢を強めている(9月10日付アナドール通信報道)。
http://aa.com.tr/en/asia-pacific/philippines-leader-threatens-nationwide-martial-law-/905752